本文へスキップ

○ビーチボール競技誕生秘話

”上を向く”スポーツ

朝日町では昭和30年代に農村の生活改善の一環として、「腰まがりの予防」のためにバレーボール競技を取り入れ作業姿勢の改善に取り組みました。 当時、田植えや稲刈りなどの農作業はほぼ手作業で前屈(まえかがみ)の姿勢が多く、「腰まがり」や「腰痛」に悩む人が多かったと言われています。

地域ぐるみで取り組まれたバレーボールは、県内で常にトップクラスの成績を収めるまでになりました。 しかし高度な技術を要求されるため、次第に特定の参加者に片寄っていきました。

そこで町では、日頃スポーツに親しむ機会の少ない婦人や中高年層がレクリエーションとして「気軽にできるスポーツ」を開発し 「町民ひとり1スポーツ」を推進することにしたのです。

ちょうどそのころゲートボールが普及してきましたが「農作業で腰を曲げているのにレクリエーションでも腰を曲げるのでは意味が無い」と、 ”腰を伸ばす””上を向く”スポーツを基本に考案することにしたのです。

ビーチボール誕生

朝日町ではバレーボールが普及していたため、これをベースに研究を始めました。昭和54年のことです。

最初に試したのはバレーボールの皮をはいだゴムチューブのボールでした。しかし、ボールのスピードは皮製のものと変わらず、強いボールに恐怖を感じるのも同じでした。 しかも、当たってからの変化が大きいので、普通のボールよりもプレーしにくいことも分かりました。

そこで、海岸で親しまれているビーチボール遊びにヒントを得て、ビニール製のボールを使ってみました。ところが市販されているボールには大小さまざまな形があり、大きいと遠くへ飛ばず、小さいとプレーがやりにくいという欠点がありました。

そんな時、たまたま清涼飲料水の宣伝用ビーチボールがあったので打ってみると、とても具合が良いことに気付きました。 そこで、同じような市販のボールを使うことにしましたが、すぐに割れる上に、いろんな絵が入っていて競技にそぐわないので、 割れにくく統一性のあるボールを独自に開発することにしました。こうしてできたのが現在の白と緑のボールです。

ルールの制定

コートの大きさについても、バレーボールのコートでは広すぎてボールに届かないなどの難点があったので、バドミントンのコートを使用することにしました。これなら、どの体育館にも設けられているばかりでなく、公民館のホールや小さな空地でもできます。

ところが115センチバドミントンネット支柱をそのまま利用すると、アタックのとき相手の顔が見えるので、打つ人も受ける人も恐怖感があります。かといって高すぎると背の高い人しかプレーできなくなります。そこでネットの高さは、普通の大人ならばネットの上に手が出て、しかも顔が隠れる180センチと決めました。

そして誰もが前に出てアタックできるように、選手のポジションをローテーションすることにしました。これにより、バレーボールでは後衛でのプレーが多い人や背の低い人でもエースとして活躍でき、ビーチボールの魅力の一つとなったのです。

このように試行錯誤の連続でしたが、こうしてバレーボールとバドミントンのルールをミックスした独自のルールによる新しいスポーツが誕生していったのです。