浜山玉つくり遺跡

更新日:2023年03月31日

浜山(はまやま)玉つくり遺跡

県・史跡 昭和47年10月5日指定

住所

富山県下新川郡朝日町宮崎字浜山12-30

(写真)発掘現場の画像

浜山玉つくり遺跡は、越中宮崎駅から南方に見渡せる山裾の、浜山台地にある遺跡で、約1500年前、5世紀後半の古墳時代中期に、大和朝廷が現在の富山県と新潟県まで勢力を伸ばしていた頃、その頭であった大王(おおきみ、後の天皇)は、中国に使いを出す一方、九州や東北地方まで勢力を伸ばし、多くの豪族を従えていました。朝日町もその支配を受け、大王に献上するために当時最高級の宝石である、硬玉(ひすい)の勾玉等を製作した工房跡である。

(写真)発掘されたヒスイ勾玉の画像

宮崎から境にかけて国道8号線の南に見える山すその大地には、一万年以上も前の大昔の人々の生活を示す遺跡が多く、埋蔵文化財の宝庫と言われています。中央の浜山では昭和42年から43年の二次にわたる発掘調査によって、約1500年前に古墳時代大和政権の有力者が、権力の象徴として身につけていたヒスイの勾玉(まがたま)の工房跡二基と多量の玉類の完成品、未完成品が工具類とともに発掘され、日本ではじめてヒスイの玉造りの存在を証明し、工法工程を明らかにしました。また、多くの深鉢土器に混じって、祭りや呪術等に使ったと見られる日本最古の双子土器なども見つかりました。このようなことから、境遺跡は石器や装飾品の制作基地だったのではないかと推定されています。

管玉および未完成品

(写真)発掘された管玉の画像
(写真)いろいろな出土品の画像

滑石製で80点近く出土。管玉には通常見られる大きさのものと細型のものの2種類がある。この2つの種類は型割工程において若干の差がある。部分的の切割により整形が行われた後研磨しているものと、全面が切削成形されているものがある。これは形の大小による違いかもしれない。出土のヒスイは、原石(転石・標石のままのもの)や、原石をうち割るための打痕のあるものうち割られたものに加工のあるもの、研磨されたものが出土している。原石はすべて海岸に打ち上げられた標石を採取している。宮崎海岸では現在もヒスイ標石が採取されるので、本遺跡のものはこの宮崎海岸のものと考えられる。こうしたこと考慮すると、当地方には古代からかなり発達した文化があり、豊かな生活が営まれていたようです。

宮崎小学校児童の分布調査によって発見され、昭和42年~43年(1967~68)の発掘調査で、二棟の工房址と勾玉や管玉等の成品や未成品、工具類に土師器等が検出された。

一辺が約5メートルもの隈丸方形をした堅穴の第1号址には、玉類を加工するための工作用の穴が設けられ、その穴の周辺からは、紅玉の原石やそれを割る叩石(たたきいし)、玉を磨いた浜山型内磨砥石等の各種砥石、玉に孔をうがつ鉄錐やはずみ車などの工具類とおびただしい数の玉類が出土した。

ここでは、宮崎海岸に打ちよせられた硬玉の原石や、親不知山中に産する滑石から、玉類や石製模造品を製作していた。殊に硬玉の原石から勾玉を作る工程や、管玉の加工工程は特徴的で、「浜山技法」と呼ばれている。

遺跡は、埋め立て保存され、発掘調査の記録や出土品は朝日町に保管されています。

この記事に関するお問い合わせ先

朝日町役場 教育委員会事務局
〒939-0793 下新川郡朝日町道下1133
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