境関所御囲絵図

更新日:2023年03月31日

境関所御囲絵図(さかいせきしょおかこいえず)

町・古文書 昭和50年4月1日指定

朝日町境1561(関の館)

境関所御囲絵図の画像

史料の成立経緯や年次は、裏書きに「天明5年11月18日、御貸屋並御囲之絵図御用候付、委細相調早速可指出候旨金谷御殿石野主殿助より申来る」とあって、天明5年(1785)に加賀藩の領主の命令により作成されたことがわかる。北陸道(北国街道)に沿って東西に伸びた境村のほぼ中央部に、街道を遮断して設けられた関所の構造を、俯瞰的に紙本に描いている。境関所を描いた絵図は数種見られるが、藩命によって作られたこの史料が最も古く、正確である。

関所の規模は、東西に設けられた囲い垣の間が約89間(約160メートル)、南(山)側に関所の中心機能を果たす番所、奥には藩主の参勤交代時に使用する御旅屋が配置され、背後の山には御亭が置かれて海上を監視し、側には門も設けられて山抜けも取り締まっていた。街道の北(海)側には浜御関所があり、海中まで柵を張り出して船を監視した。

境に関所が設置されていたことを示す最も古い史料は、羽前の伊達稙宗が左京大夫に任じられた永正14年(1517)の記録で礼使を朝廷へ派遣したが、その費用の中に「二百文、境川の関の庭立共に御酒の分」とあり、この時すでに、境に関所が設置されていたことがわかる。当時、境の関は椎名慶胤の支配下にあった。

350年にわたって設置し続けられた境関所は、明治維新により、明治2年(1869)2月に廃止された。

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