年号 | 年 | 月 | 出 来 事 |
昭和 | 52 | 11 | 町体育指導委員会へ「町民ひとり1スポ―ツ」を 目標に軽スポーツの開発を委ねる |
54 | 6 | ビーチバレーボールのルール制定 | |
10 | 第1回朝日町ビーチバレーボール大会 | ||
56 | 11 | 第2回富山県ウーマンフェスティバル婦人スポーツ大会に ビーチバレーボールが採用 |
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59 | 8 | 朝日町ビーチバレーボール協会設立 | |
9 | 第1回全国ビーチバレーボール親善交流会 (121チーム参加、現在:全国ビーチボール競技大会) |
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61 | 7 | 富山県ビーチバレーボール協会設立 | |
平成 | 元 | 8 | 富山県民体育大会3部にビーチバレーボール採用 |
3 | 4 | ビーチバレーボールからビーチボールへ改称 | |
4 | 11 | 日本ビーチボール協会設立 | |
6 | 7 | 第1回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(31チーム参加) | |
13 | 11 | 富山県民体育大会2部に昇格 | |
15 | 7 | 第10回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(80チーム参加) | |
9 | 第22回全国ビーチボール競技大会(464チーム参加) | ||
22 | 10 | 第23回全国スポーツ・レクリエーション祭 スポレクとやま2010ビーチボール大会 |
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25 | 7 | 第20回記念”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(116チーム参加) | |
9 | 第30回記念全国ビーチボール競技大会(371チーム参加) | ||
26 | 7 | 朝日町町制施行60周年記念 第21回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(110チーム参加) |
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9 | 朝日町町制施行60周年記念 第31回全国ビーチボール競技大会(357チーム参加) |
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28 | 7 | 第1回全国学生ビーチボール交流会(翡翠カップ同時開催) (17チーム参加) |
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令和 | 2 | 7 | 第27回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
9 | 第37回全国ビーチボール競技大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
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3 | 7 | 第28回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
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9 | 第38回全国ビーチボール競技大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
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4 | 7 | 第29回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
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9 | 第39回全国ビーチボール競技大会 中止 (新型コロナウイルス感染症の感染拡大のため) |
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5 | 7 | 第30回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(122チーム参加) | |
9 | 第40回全国ビーチボール競技大会(203チーム参加) | ||
6 | 7 | 朝日町制施行70周年記念 第31回”翡翠カップ”ビーチボール全国大会(143チーム参加) |
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9 | 朝日町制施行70周年記念 第41回全国ビーチボール競技大会(229チーム参加) |
朝日町では昭和30年代に農村の生活改善の一環として、「腰まがりの予防」のためにバレーボール競技を取り入れ作業姿勢の改善に取り組みました。 当時、田植えや稲刈りなどの農作業はほぼ手作業で前屈(まえかがみ)の姿勢が多く、「腰まがり」や「腰痛」に悩む人が多かったと言われています。
地域ぐるみで取り組まれたバレーボールは、県内で常にトップクラスの成績を収めるまでになりました。 しかし高度な技術を要求されるため、次第に特定の参加者に片寄っていきました。
そこで町では、日頃スポーツに親しむ機会の少ない婦人や中高年層がレクリエーションとして「気軽にできるスポーツ」を開発し 「町民ひとり1スポーツ」を推進することにしたのです。
ちょうどそのころゲートボールが普及してきましたが「農作業で腰を曲げているのにレクリエーションでも腰を曲げるのでは意味が無い」と、 ”腰を伸ばす””上を向く”スポーツを基本に考案することにしたのです。
朝日町ではバレーボールが普及していたため、これをベースに研究を始めました。昭和54年のことです。
最初に試したのはバレーボールの皮をはいだゴムチューブのボールでした。しかし、ボールのスピードは皮製のものと変わらず、強いボールに恐怖を感じるのも同じでした。 しかも、当たってからの変化が大きいので、普通のボールよりもプレーしにくいことも分かりました。
そこで、海岸で親しまれているビーチボール遊びにヒントを得て、ビニール製のボールを使ってみました。ところが市販されているボールには大小さまざまな形があり、大きいと遠くへ飛ばず、小さいとプレーがやりにくいという欠点がありました。
そんな時、たまたま清涼飲料水の宣伝用ビーチボールがあったので打ってみると、とても具合が良いことに気付きました。 そこで、同じような市販のボールを使うことにしましたが、すぐに割れる上に、いろんな絵が入っていて競技にそぐわないので、 割れにくく統一性のあるボールを独自に開発することにしました。こうしてできたのが現在の白と緑のボールです。
コートの大きさについても、バレーボールのコートでは広すぎてボールに届かないなどの難点があったので、バドミントンのコートを使用することにしました。これなら、どの体育館にも設けられているばかりでなく、公民館のホールや小さな空地でもできます。
ところが115センチバドミントンネット支柱をそのまま利用すると、アタックのとき相手の顔が見えるので、打つ人も受ける人も恐怖感があります。かといって高すぎると背の高い人しかプレーできなくなります。そこでネットの高さは、普通の大人ならばネットの上に手が出て、しかも顔が隠れる180センチと決めました。
そして誰もが前に出てアタックできるように、選手のポジションをローテーションすることにしました。これにより、バレーボールでは後衛でのプレーが多い人や背の低い人でもエースとして活躍でき、ビーチボールの魅力の一つとなったのです。
このように試行錯誤の連続でしたが、こうしてバレーボールとバドミントンのルールをミックスした独自のルールによる新しいスポーツが誕生していったのです。
<お問い合わせ・申込先>
全国ビーチボール競技大会事務局
〒939-0715
富山県下新川郡朝日町越306
TEL 0765-83-1838
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