ヒスイ海岸
山青き水清い、小石の海岸
日本の屋根北アルプスの主稜線は、白馬岳(2932メートル)を主峰として、雪倉岳、朝日岳、長栂山、犬ヶ岳、白鳥山を経て、日本海に消えます。ヒスイ海岸は、日本海を代表する俊峰が間近に迫り、そこを源としていっきに流下する清烈な水を集める「山青き、水清い」美しい海岸です。
ところが、海岸と言うと古来から「白砂青松」などと言われますが、ここヒスイ海岸には砂がありません。日本でも珍しい小石の海岸です。しかし、ブルーやグリーン、そしてコバルト色に輝く五色の小石が海岸にちりばめられ、海岸の小石が全て宝石と言っても過言ではありません。でも、何と言っても青緑色に輝く翡翠(ヒスイ)の原石があるのがうれしいのです。そのためか、海水までエメラルドグリーンに輝いて見えるのです。
ヒスイの勾玉の故郷
近年、当町をはじめとする隣接する新潟県青海町や糸魚川市などで、数多くの翡翠の加工工房遺跡が発見され、古代から当海岸でのヒスイの採取、加工が行われていたことが広く知られるようになりました。
しかし、これらはいずれも縄文時代からの古墳時代の遺跡であり、奈良時代以降ヒスイの加工は行われなくなったようです。そのためか、ヒスイの原産地は昭和初期まで長い間不明とされ、特に古代人に珍重されたヒスイの勾玉の産地となると、多くの考古学研究者たちが探求し続けたにもかかわらず、日本古代史の中の謎として残されてきました。
ところが、昭和39年のことです。宮崎の浜山で泥遊びをしていた子供たちが、土の中からヒスイの勾玉を見つけたのです。これがきっかけとなり、昭和42年に国学院大学教授の大場盤雄博士を団長とした調査団が浜山台地を発掘調査し、ヒスイの工房跡を検出したのです。そこで大場博士は、「浜山玉つくり遺跡は、滑石とともに硬玉ヒスイを採取し、加工製作した遺跡であることが判明した。これにより古墳時代硬玉の国内生産がはじめて立証されたのである」と、浜山玉つくり遺跡調査報告書の総括で明示しました。
これにより、それまで学会の主流を占めていた「ヒスイの勾玉は、原産地のビルマから中国を経て日本に持ち込まれた」とする大陸移入説が覆されるとともに、「浜山玉つくり遺跡」が日本のヒスイの勾玉の故郷であると立証されたのです。
賑わう海岸
ヒスイ海岸の魅力はヒスイが拾えることばかりではありません。
北陸というと北国というイメージからか、寒くて泳ぐこともできないと思われがちですが、実際はまったく違います。ここヒスイ海岸では、太平洋側と同じように強烈な太陽が照りつけ、しかも波静かで水が美しい。そのため、かえって海水浴に適しているという声さえあるほどで、夏の声を聞くと、渚は若者たちや家族連れで占領されてしまいます。
さて、ヒスイのように美しく透き通った海で海水浴やウインドサーフィンなど、シーサイド遊イングを思いっきり楽しんだ後は、潮騒のメロディーをBGMに、夕日をみつめてみたい。空も海もすべてが紅色に染まるとき、あなたは不思議な感動を覚えるでしょう。そう、ここは日本一のサン・セット海岸でもあるのです。
また、1年を通じて楽しめるのが海釣りです。フクラギ(ブリの幼魚)やキス、タイなどの豊富な魚種を対象として、磯からの投げ釣り、舟での沖釣りを楽しむことができます。
グルメにうれしい美し海岸
あれほど賑わった海水浴場も冬ともなれば、閑散としてしまいますが、冬には冬ならではの楽しみがあるのです。「ドドーン」という、いくつもの大太鼓を一度に打ち鳴らしたような怒濤の音を聞きながら、新鮮な魚貝類の刺し身に舌鼓を打ちつつおいしい地酒での雪見酒とくれば、冬もまた楽しです。それに、甘えびとカニ。特にカニは、冬の味覚の王者です。ゆで上がったものを丸ごと1匹、固い殻からほじくり出して食べ、ミソを賞味したあとは、甲羅酒。冬はグルメにうれしい美し(うまし)海岸となるのです。
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更新日:2023年05月31日