現在、朝日町で確認されている遺跡は約100箇所あります。
これらの遺跡は、地形・時代によって3つのグループに分けることができます。


分布マップ

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@境・宮崎(ヒスイ)海岸付近

ヒスイなどを使った玉つくりの遺跡が多い。
  • 代表的な遺跡

    • 境A遺跡 【サカイAイセキ】 国・重要文化財(1999年6月7日指定:2432点)
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    • 明石A遺跡 【アゲシAイセキ】
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    • 浜山玉つくり遺跡 【ハマヤマタマツクリイセキ】 県・史跡(1972年10月5日指定)

    朝日町のヒスイ海岸(宮崎・境海岸)ではその名の通り、ヒスイが流れ着くことで有名です。 ヒスイは、太古の昔から大切にされており、朝日町では約5000年前から1500年前にかけての遺跡で、ヒスイを加工したムラ跡が見つかっています。 朝日町の玉つくり職人たちが作った玉は全国各地の人々に届けられていたと考えられます。朝日町境・宮崎地区は当時、日本でも有数の玉つくりのムラであったといえるでしょう。ヒスイ だけでなく、やわらかく加工しやすい滑石や、粘り強く割れにくい蛇紋岩など、石の特色を生かして用途に合わせて様々なものを作っていました。


A小川扇状地&中山間地

古墳時代以降の遺跡が多い。
  • 代表的な遺跡

    • 宮崎城跡 【ミヤザキジョウセキ】 県・史跡(1965年1月1日指定)
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    • 臼ヶ谷古墓 【ウスガダニコボ】 町・歴史資料(1995年7月3日指定)

  • 中世の越中・越後の国境争奪の拠点となった宮崎城跡は県内最古の城跡です。 「平安時代末・寿永2年(1183年)に、平家討伐の令旨を受けた木曽義仲が、宮崎党の惣領の宮崎太郎・佐見太郎らと、以仁王の王子の北陸宮を奉戴し、旗頭にした際に築城された」とされます。
    その宮崎城の裏手の山から、青年武将と思われる人物が埋葬された珠洲焼の大甕が発見されました。


B黒部川旧扇状地(舟見野台地)

縄文時代の集落が多い。  
  • 代表的な遺跡

  • 黒部川が西に流れを変え、舟見野台地ができた後に縄文人たちが住み始めました。縄文人は小高く、見晴らしの良い台地の上にムラをつくることが多いのです。 不動堂遺跡で発掘された大型竪穴住居跡は日本初例で、縄文人の技術の高さを世に広めることとなりました。