「北陸の宮」墳墓

「北陸の宮」墳墓(ふんぼ)

住所 富山県下新川郡朝日町城山

北陸の宮墳墓の画像

安徳天皇が即位し、平清盛が天皇の外父母となったのは、千百七十九年のことです。

その年の冬に、後白河法皇が清盛により幽閉され、これを怒った法皇の第二皇子「 以仁王 (もちひとおう)」は、平家打倒の命令を地方に発しられました。これを受けた武士たちが各地で挙兵し、平家打倒の戦いは全国的な動きとなりました。

「北陸の宮」は、この「以仁王」の第一皇子で千百八十年、父王が挙兵されるとして剃髪され、東国に隠棲されました。ついで千百八十二年に父王の守り役だった讃岐前司重季に導かれて京都を脱出、越前を経由して越中に入り、木曽義仲の奉ずるところとなり、豪族宮崎太郎の護衛により宮崎の地に居住されることになりました。

今日残存する宮崎城跡にある御所跡を見ると、標高二百四十八メートルの城山山頂に造営されているため冬期間の通行などを考慮すると、「北陸の宮」が日常起居された御殿ではなく、公式な行事にのみ充てられた御殿で、日常使用された御所は別にあったのではないかと考えられています。

この後御所跡には城が築かれ、御所跡は本丸に、二の宮、三の宮は二の丸、三の丸。となり宮崎定範を始め、佐々成政(さっさなりまさ)と上杉謙信の攻防など、幾多の戦いの舞台となりました

地方に皇族の墳墓があるのは、全国的に珍しいことです。

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